Welcome 2017

2016年も毎年と変わらず、熟考するためにネタで溢れています。
人間として成長も失敗もあって、良い年だったと思います。

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自分の道の方向と検問所があって、昔からその道のブレがなくて甘んじる。

親でいるということは最初に心配したよりは楽だと思いました。
(子供が反抗するようになると変わる可能性は十分高いと思いますが・・・)
親になる前に覚悟ができていたし、更にそれなりに自分の存在意識があります。
時間、お金、心も含めて、妥協や優先を変えているつもりです。

子供と妻に感謝しています。子供のおかげで自分の事を深刻に考えすぎないように学んでいます。
妻のおかげで本当の愛の意味を習っています。家族全員今年いっぱい健康でとても幸運でした。

音楽家やアーティストとしての夢はまだあり、技能や表現力を高めています。
今年はその点においては大規模な作品を作ることはできず少し後悔が残りますが、
現在落ち着いている生活があるので、行動すべき時はまさに今です。

反省と自己分析は毎日こまめに続けています。自分の事をよく知ることは世界で成功するとコツだと信じています。
その反省と分析は苦労に伴って付いてくるので、シビアな状態で挑戦し続けることは重要な修行だと思います。

濃縮された苦労はお遍路の道で逢いやすいです。今年はまた長期休暇を取ることができ、ついに四国八十八箇所の旅を一周歩き終えました。
以前に歩いた分もあり、過去最速のピッチで進めたので、愛媛県の途中から香川を過ぎて、
鳴門市の第1番札所まで無事に戻れました。十日間連続テント無しで野宿をして、休まずに
最後まで歩きました。(シビアとは言っても、実は貧しい方の生活と比べたら全然難しくないのです。)

歓喜も苦痛もあります。自分の欠点を明らかに認めざるを得ない。
瞑想しても、怒らないように自分を説得しても、いつかまた自分の弱さから怒ってしまいます。

主目的は歩くことです。
それを満たすため、日常の副次的目的もあります。(水、食、睡眠)
正直にその三つの副次的目標の最適化の魅惑はお遍路をするために十分価値があります。
毎日の疼痛と疲れとの戦いは楽しすぎて(私はM?)、この神聖な訓練をその様に
扱うことに罪悪感があります。まさに、罪悪感は歩きながらの思案する主題です。
祈り、敬けん、冒険、渇望、自我、こういう議題を自分自身と終日討論していました。

最後に第1番札所に戻った時は、多少の不安と懸念を感じました。ここまで歩いてきたことを振り返り、
目に涙が溜まりました。言葉では言い表せない気持ちでした。窶れた感じでベンチに座り、遠くを見つめていました。
その時にお坊さんが現れ、静かに隣に腰を下ろして、私と同じように先を見つめてから話かけてくれました。
感動しすぎて、そこで話した内容は一生忘れることができません。

お遍路は短いスパンに人生の喜びと悲しみを圧縮したものです。
お遍路の道に私は本当に生きていると感じます。偉大な恩恵です。
道に学んだことを今年も実践していきたいです。

まだまだ未熟で自己中心な私ですが今年も宜しくお願いします。